チャコールグレーの公理系
ビジネスの世界で「コラボレーション」とか「競争ではなく共創」なんて言われて久しい気がします。異業種の複数の大企業がこぞって「共創」ネタで報道発表することがあります。が、その報道発表時の写真に「違和感」を感じてしまうことが多々あり、ついつい小ネタにしてしまうことがあります。
今回は、この「違和感」について考えてみたいと思います。
1. ジェンダー・ギャップ指数 2021
先日、フィンランドのマリン首相が来日されました。30代という若さで一国の首相になられている方です。 「年齢」や「男性と女性」というだけの古い固定観念で語ることはできないですが、「30 代の女性が一国の首相である」という事実だけで、なんとなく、”あ〜、今風じゃん”、”何か変わるのかもな”という雰囲気は醸し出ちゃいます。
一方で、ジェンダー・ギャップ指数 2021が示すように、我が国は堂々の120位(156カ国中)。相変わらず、最後尾に位置し昭和風味を堪能しております。
2. 昭和風味の「当たり前」
この国で暮らしていると、ジェンダー・ギャップ指数120位の”空気”が生み出す「当たり前」が沢山あるんだと思います。 それこそが、冒頭に触れた「違和感」だと思います。
「当たり前」のように、大企業の役員(≒ シニアなオジ様たち)が、示し合わせたように同系色のスーツ(おおよそ、深めのネイビーか、チャコールグレーというのがど定番)を着て、ずらっと並ぶのです。そのこと自体が悪いわけでもないですが、あまりにも毎回毎回同じ光景というのは、ちょっとどうなのよ?と首を傾げたくなります。
が、昭和97年を謳歌する人々には、「当たり前」であり、何の「違和感」もないはずです。
3. 「真実」・「当たり前」という虚構
「真実」、「当たり前」、言葉としては存在するが、そんなものがあるわけがない、と思い始めたのはいつからでしょうか?
少し話がそれますが、数学の専門用語として、「公理」という用語があります。以下、Wikipedia からの抜粋です。
公理とは他の結果を導きだすための議論の前提となるべき論理的に定式化された(形式的な)言明であるにすぎず、真実であることが明らかな自明の理が採用されるとは限らない。知の体系の公理化は、いくつかの基本的でよく知られた事柄からその体系の主張が導きだせることを示すためになされることが多い。
厳密な定義に基づき、議論を筋道立てて一つ一つ進む数学の世界ですら、実は大前提となる「公理」が必要となります。小学校から始まる算数では、ユークリッド幾何学がベースであり、そこにもいくつかの大前提(公理)が存在します。でも、そんなことを意識して、小学校の算数に取り組むことはありません。
同様に、我々が日々生活する社会でも、なんとなくの「大前提」が存在し、その存在に気がつくことは少ないはずです。
今、地球環境破壊の観点で問題視されている「資本主義」も御多分にもれずです。地球の歴史から比べれば、ごく最近、ホモ・サピエンスが作った”一時期的”な社会通念でしかありません。民主主義も同じです。かつ、これらは、全地球レベルでの社会通念にすらなっていません。
4. 「チャコールグレー公理系」からの脱却
今、まさに、日本はこの「チャコールグレーの公理系」に悩まされているのではないでしょうか? これまでのご苦労を無駄にするわけではないですが、そろそろ順番の入れ替えをして、「じゃない方の公理」で生きてみるのも良いと思うのです。
取り止めもない内容を書いていたら、こんな記事"イエール大・成田悠輔助教授「選挙も政治家も、本当に必要ですか」“が見つかりました。今や飛ぶ鳥を落とす勢いのイエール大学の成田先生のインタビュー記事です。
我々も、科学・技術を愛し、だからこそその限界を理解し、「当たり前」にとらわれず、「チャコールグレーの公理系」から脱却して、世の中の役に立つコトを一つ一つ積み重ねていきたいと考えています。